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録音複製技術は音楽をどう変えたのか、あるいは『』について

この記事は、2020年10月4日にはてなブログで公開した記事をなるべくそのままの内容で転載したものです。
※記事中でYe(Kanye West)の作品に言及しています。

菊地成孔・大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校』

♨️ さて、表題にあるとおり今回は録音複製技術が音楽にもたらしたものって一体なんなんだろう?みたいなことを考える回にしていこうと思います。

👼あのう、なんかものすごく主語がでかいんですけど大丈夫でしょうか…

♨️いやまじで大きすぎるんでこーゆうときは名著に頼ろう。ということで、最初のとっかかりにしたいのがこちらの書籍です。

菊地成孔・大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校 上 【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史 調律、調性および旋律・和声』
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309410166

👼おお〜、これは菊地成孔・大谷能生コンビのいわずと知れた名作ですね。

♨️以下に紹介文をそのまま載せておきます。

20世紀中盤に登場し、ポピュラー音楽家たちのあいだに爆発的に広まった音楽理論「バークリー・メソッド」とはいったい何か―日本を代表するミュージシャン兼批評家=菊地成孔+大谷能生の名コンビが知的興奮に満ちた伝説の講義を展開。上巻は「調律・調性および旋律・和声」として、メロディとコード進行の謎に迫る。

ちなみにぼくは上巻の途中までしか読めてないですが

👼じゃあ半分も読んでないんじゃないですか…

♨️でもこれ既にめちゃくちゃ面白くて…冒頭に「21世紀の音楽のあり方を共に模索していきたい。」と述べているだけあって文中にいくつも根本的な問いを投げかけてて考えさせられるんですよね。で、そのうちのひとつに「音韻」と「音響」の対比があります。

👼ふむ。

♨️ちょっと長くなるんですがこの用語についての説明を引用します。(p.30)

記号化、つまり音楽の構造をプレハブ住宅だとかレゴブロックみたいに、それ自体には意味がない、入れ替え可能な箱を並べるように考えたいって欲望は、これはつまり、音楽を何度でも再現できる「音韻情報」だけに還元して考えるってやり方と相当な親和性があります。「音韻」っていうのは音楽の「内容」、というか、その音楽をぱっと聴いた時に覚えていて、で、後で再現できるような音の情報のことです。
それに対して「音響情報」っていうのは、その時、その場所でしか聴くことのできない音の要素。たとえば、洞窟だとか教会だとかで門外不出のグレゴリオ聖歌みたいなのを聴いたとしますよね、その時に声の残響がすごくいいだとか、この教会でしか聴けない石の倍音があるとか、何かそういったことでもってその時、その場所でしか聴くことのできない響きってのが生まれますよね。そういったものは音楽の中でも、記号化して家に持って帰ることができない要素のひとつです。

👼音韻と音響、音楽はその2つの要素で成り立っているんだと。なるほどねえ。

♨️そして、この本ではおおまかな流れとして、「再現不可能なその場限りのもの(=音響重視)」であった時代から「商業音楽・大衆消費・大量流通音楽(=音韻重視)」の時代を経て、録音複製技術の発展に伴い現代では再び音響重視になってきているという見方を採っています。

👼本文中の言葉でいえば「2002年の僕らは、音楽を聴くにあたって音韻にあまり頼ってないですよね。音響でしょ」と。確かにいまはもうわざわざライブハウスやクラブに出かけなくても自宅で十分いい音で音楽聴けますもんね。

♨️ただ、録音複製技術の発展が音楽に引き起こしたものはなにかって考えてみたときに、もっと決定的に音楽の在り方を変えてしまったとも思うんですよね。それはなにかって、演奏や作曲がどうとか以上に録音物としてどう完成するかが音楽家にとって最も重視されるようになったんです。これはとんでもない価値観の転換ですよね。

岡﨑乾二郎『芸術の設計』

♨️で、このことについて考えるときに参考になったのが、当ブログでは毎度おなじみ造形作家/批評家の岡﨑乾二郎が編著を務める『芸術の設計 見る/作ることのアプリケーション』です。

👼でましたね、岡﨑乾二郎…

♨️精神科医の斎藤環いわく「パソコンのアプリケーションを媒介として形式の違いを記述しようという卓抜な着想のもと」「建築、音楽、ダンス、絵画といった芸術表現の諸形式を、技術の側から見直すという壮大な試み」である本書は、当然現代の音楽についても非常に興味深い批判を投げかけています。ということで、以下に注目点を引用します。(p.55〜p.56)

レコード以降の録音複製技術を基盤にして成立したPOPミュージックの全面を支配しているのも、同じくこうした非対称的不可逆的(歴史的)なイメージだった。録音技術にとって、ライブとスタジオでミキシングされたものの区分はない。演奏と作曲されたものは録音にとって等価である。いいかえれば雑音だろうとプログラムされたものだろうと、 録音された音響全体が楽曲=作曲されたものとしてパッケージされ、確定される。録音つまりパッケージングという操作がここでは作曲という操作を代行する(グレン・グールドやヴァン・ダイク・パークス、ビートルズはこのことに自覚的であった)。(中略)重要なのは、POPミュージックを一つの全体(作品)として完結させているのが録音=パッケージングという操作=行為であり、またそれを一つの完結した全体として想起しようとするという聴き手の操作=行為だったことである。

👼ふむ、つまり音楽が録音されているのではなく、録音こそが音楽の条件であるという逆転現象のようなことが起こっていると…

♨️ここでは「パッケージング」がひとつ重要なキーワードとなっているのですが、岡﨑によるこの問題意識は(音楽だけではなく様々な)作品制作における技法である「引用/コラージュ/モンタージュ」にまで及んでいます。少し長くなりますがそれについても引用してみましょう。(p.51~p.53)

複製技術の発展が生産プロセスに与えたもっとも大きな変化は、結果物それ自体の精度、解像度などではなく、むしろ生産プロセスを自在に組みかえる可能性、編集可能性だった。そこで引用され(リンクを張られ)、繋ぎ合わされ、組みかえられるのは事物ではなく、むしろ異なる時間軸で進行する複数の生産プロセスそれ自体である。(中略)引用、そしてコラージュという操作は、こうして引用される対象をまるごと一つの括弧(カプセル)に入れ、単体として完結させる効果をもたらす。引用された断片は、それが属した、かつての文脈の全体を包括して示す指標(インデックス)つまり名詞のように扱われはじめるのである。(中略)しかし断片が名詞化されるということはそれがラベルのように、それが名指す対象ーもともとの文脈の文節、構成をまるごと隠蔽、封印しパッケージングしてしまうということでもある。(中略)こうして引用された対象とそれが再配置される新たな文脈の間には互いに不可侵、不可逆的な階層(レイヤー)、序列が形成される。いわば歴史が形成される。すべてのものを無時間的な場(共時性)の上に並列するという一般的な理解とは反対に、引用、コラージュ、モンタージュとは、歴史を作り出す操作そのものである。

ひい書き写すだけで疲れた!

👼今度はパッケージングではなく括弧(カプセル)という言葉を使っていますね。

♨️でも使われている意味は同じですよね。岡﨑にとっては、音楽を録音・パッケージングすることと、その断片をサンプリングすることは『』をつける行為という意味では同じ問題を抱えているんです。

👼なるほど、その『』をつけるセンスこそが大事というのがいまなんですかね。

演奏者 < プロデューサー

♨️したがって、現代ではプレイヤーではなくプロデューサーがいちばん偉いんですよね。というのは芸術の設計の中でも触れられています。(p.150)

プロデューサーは、実際の演奏者や作曲者以上に、録音物としての作品が最終的にどう聞こえるのかを決定する(もちろん演奏者や作曲者自身がプロデューサーを兼任するケースも多い)。つまり、プロデューサーは音楽を録音に特化した形式へと編集する役割を専門的に担っている。(中略)以上のような事態に拍車をかけたのが、ここまで見てきたパソコンとDAWソフトの普及だった。つまるところ、既存のレコードを掛け合わせて演奏するDJも、パソコンで出来合いの素材を組み合わせて楽曲を構築するラップトップミュージシャンも、録音データとして一元化された音楽を編集するという意味においては、等しくプロデューサー的な制作方法に従っている。 

👼なるほど、「パソコンで出来合いの素材を組み合わせて楽曲を構築する」といえば、いまではSpliceのような定額でサンプルパックが使い放題なサービスもありますしね。

♨️そのサービスはぼくも使ってて、以前こんな動画をTwitterにアップしたこともありました…

👼主にDAWを使って音楽をつくっている人たちがSpliceなどを利用しながらどのようなプロセスで楽曲をつくりあげていっているのか、という点は今後もっと追求していくべきところですよね。ってゆうかぼくらも楽曲つくれるようになりたいっすよね…

Kanye West’s『My Beautiful Dark Twisted』

♨️まあ今回それは一旦横に置いておいてプロデューサーの話題に戻りますが、いま喋ってきたような流れを最も象徴する作品があのMBDTFことKanye West’s『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』です。

👼名盤!

♨️いや〜やばいっすよねこれ……全ての音が気持ちよくヒットしてくるので聴いてると涎をたらしながら失神してしまいそうになりますが、この作品全編で貫かれているのがあらゆる音の素材をすべて自分のエゴに落とし込むプロデューサーとしての彼のセンスです。で、その点を掘り下げるときに必須なのがこちらの書籍です。

カーク・ウォーカー・グレイヴス【著】/池城美菜子【訳】『カニエ・ウェスト論 《マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー》から読み解く奇才の肖像』
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0742649

👼そしてその書籍を買う際に参考になるのがこちらの記事ですね。

Kanye Westの人物像や音楽性に迫る書籍『カニエ・ウェスト論』が6月に刊行|一部を独占先行公開 – FNMNL (フェノメナル)

しかし、2010年作のMBDTFについて論じながら同時にカニエ・ウェストという人物像を非常に的確に捉えているというもの凄い一冊ですよね…

♨️上の記事ではなんと本書の中から「贖罪のアート」という章が全文公開されていて(必読)、あの有名なオアフ島のエイヴェックス・ホノルル・スタジオでおこなわれた「ラップキャンプ」についてのくだりを読むことができます。これは主にノア・キャラハン・ビーヴァーという人物による体験談で構成されているのですが、大きな読みどころのひとつなので少し引用してみましょう。

制作現場での繊細な共同作業の様子を知れば知るほど、カニエは監督であり、曲の作者でもあるように感じてしまう。この考えをより理解するために、キャラハン・ビーヴァーはハワイのラップキャンプに参加した、レジェンド級のヒップホップ・プロデューサー、Qティップの言葉を引用している。
「芸術作品において、ミケランジェロやレンブラントとかいった大御所はみんななにかしらスケッチをしているが、その手で描いたとはかぎらない。ダミアン・ハーストがコンセプトを打ち立てたら、大勢のクルーが作業員のようにそれを仕上げるんだ。彼の手はキャンバスに触れる必要はないが、その考えは反映される。カニエもそうだ。彼はビートやライムが浮かんだら、われわれ全員に提示する。俺たちは彼が始めた音を詳しく吟味し、さらに引き裂いてみたりなにかを足したりする。セッションの終わりには、みんなで力を合わせて作ったものを彼がまとめ、変化させると、全体はパートごとよりずっとすばらしいものになる。彼は本物の魔法使いだ。実際、彼が行っているのは錬金術なんだ」

👼ラップキャンプでのカニエのプロデューサーとしての立ち位置がよくわかる文章ですね。

♨️また、「Runawayー許を請う音のバレエ」という章では、彼のサンプリングの才能について次のように述べられています。(p.146〜p.147)

彼は変形する時間の皮肉、不可思議さと戯れ、粉々になった過去の破片から未来で通用する音の専門用語を見つけ出して、最良のサンプリングを作る。彼の曲はポップから出たゴミをリサイクルしただけとか悪口を言う人は、ある意味で正しい。〈Runaway〉の脚部を形づくる〈Expo 83〉のドラムは、以前にも取り出されてピート・ロック&CLスムースの1992年のデビューアルバム《Mecca and the Soul Brother》に入っている〈The Basement〉のブレイクビートのイントロという、別のサンプリングに組み込まれていた。ビートの上で1971年から1992年、2010年へと時が展開していくのだ。3つの異なる歴史が一拍の音に集約され、お互いに相関しながらそれぞれの元の音よりずっと偉大なひとつの生命体として育っていく。 

👼「粉々になった過去の破片」という例えが見事ですね。

♨️しかし、「お互いに相関しながら」という表現は誤りにも思えます。「Runaway」を聴いて「Expo 83」の曲全体を思い浮かべることは基本的にはあり得ません。「Runaway」の製作にあたって、カニエは「Expo 83」の中からドラムの音のみを取り出し自身の楽曲の一要素として再配置しました。つまり、ドラムの音として名詞化してしまったのです。そこに彼のキラリと光る『』づけのセンスがあるんですね。

Runaway – song by Kanye West, Pusha T

👼なるほど、前半で岡﨑乾二郎が言っていたのはこういうことだったんですね。

♨️つまり、『』の王様なんすよね、カニエは。

👼ネーミングセンスめちゃくちゃダサいっすね……

Solange『When I Get Home』〜断片化をなぜ感じるのか〜

♨️さて、ここまでみてきたように、レコード以降の録音複製技術の下で音楽はいかに音をパッケージング(『』づけ)するかが最も重要視されるようになりました。しかし、このような、「録音された音響全体が楽曲=作曲されたものとしてパッケージされ、確定される。」という状況のなかで、なにやら一部の音楽作品には不思議な言葉が寄せられることになります。

👼なんでしょう…?

♨️それが、「断片化」という表現です。ということで、まずはこちらをご覧ください。

Solange – When I Get Home (Director’s Cut)

👼2019年にリリースされたSolange『When I Get Home』のショート・フィルムですね。というか41分20秒もある映像がはたしてショート・フィルムといえるのか?

♨️アルバムのほうは39分の収録なのでフィルムのほうが長尺という…しかし、これ本当にアルバム/フィルムと何度聴いても不思議な作品なのですが、同時に先ほど取り上げたMBDTFと色々な面で対照的に考えることができるはずなんです。

👼そ、そうなんですか…?

♨️まず、MBDTFと本作の共通する点は「アルバムのクレジットがバカみたいに長い」ということです。これは多分Geniusを見るのが一番手っ取り早いと思うのでリンクを貼っておきます。

Kanye West – My Beautiful Dark Twisted Fantasy Lyrics and Tracklist | Genius

Solange – When I Get Home Lyrics and Tracklist | Genius

👼まあ両者を比較すると特にカニエのほうの長さが際立ちますがとにかく色んな人が参加していますね。

♨️そうですよね。しかし、その制作スタイルはというと実は両者で真逆のようなスタンスをとっているのです。下のツイートをご覧ください。

 そう、カニエが「ラップキャンプ」だとするならば、ソランジュはホーム、つまり「民泊」なのです!

👼えっと…民泊は流石に無理のある表現な気がしますが…

♨️いや、でもそのキャンプと民泊の違いはプロデューサーとしての立ち位置にもしっかり違いがでているように思えるんですよね。例えば、HIP HOP DNAというWEBメディアの記事からソランジュの発言を引用すると、多数のアーティストが制作に参加することについて次のように語っています。

「私にとって一番良いのは人を呼んで『do you(あなたをやって)』と言うことね。私が表現したいことに使える、と思うアドリブなどが聞こえるまで6時間ぐらいかかることもあるわ。」 

 また、i-D Japanによる記事によると次のようにも発言しています。

このアルバムのレコーディングでいちばんよかったのは、ほとんどの曲をワンテイクで撮ったこと。曲のあたまからメロディを歌い、コードを組み立てる。私と(テンポを合わせるための)クリックトラック、相棒のジョン・キーのドラムかキーボード、そしてジョン・カービーのシンセだけ。その15分の演奏のなかからベストな3分を探し出すようにした。実はボーカルの音を作り直そうとしてみた箇所もいくつかあった。でも同じエネルギーは出せなかったから、そのまま委ねることにした 

 ね?全然カニエと違うでしょ?

👼キャンプか民泊かは全然関係ないと思うけど(笑)たしかに、まず浮かんだビートやライムのアイデアを提示して要望どおりにつくらせるカニエの制作スタイルとは真逆な感じがありますね。

♨️その「15分の演奏のなかからベストな3分を探し出すようにした。」という箇所については以前にも痙攣というZINEの中で引用したことがありましたが(小沢健二からメタルの新時代まで、話題の音楽ZINE「痙攣」が増刷・再販中 | Mikiki)、ここでぼくが書いた「モンタージュ音楽論」という記事について、なんと後日批評 × 旅行誌「LOCUST」の編集長である伏見瞬にコメントをいただくことができました。そのなかでも重要と思われる箇所について以下に引用します。

『痙攣』全記事についてのコメント – I was only joking

Solangeが新作のインタビューで「15分の演奏の中からベストの3分を探すようにした」と語ったエピソードが論考で紹介されているが、つまり本稿で描かれているのは「全体から断片を抜き出す」方法であって、コラージュの手法とは逆立している。むしろこれは「断片化(英語ならFragmentationかな)」とでもいうべき特徴だろう。 

👼ここで断片化というキーワードが出てきましたね。

♨️あとは、こちらの記事も非常に面白いので未読の方はぜひ読んでほしいのですが、なかでも注目してほしいのが以下に引用する若林恵の発言です。

https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Frollingstonejapan.com%2Farticles%2Fdetail%2F30222%2F1%2F1%2F1rollingstonejapan.com

冒頭の5分を一聴するだけで、これが前作『A Seat at the Table』とはまったく異なる作品であることはたちどころにわかる。本作は、よりオープンで、よりセッション的、直感的だ。メロディやことばの断片は、丹念に練り込まれる前に、そのまま水平方向に移動して次の曲へと移っていくかのようで、いい曲をつくろうとか、磨き上げられた完成品を目指そうという意思は稀薄だ。曲が曲として構造化してしまう前に動き去ってしまうことがむしろ意図されているようなのだ。前作が、構築的で静的なものであるなら、今作は、明らかに即興的で動的前作が、完成を重視した作品であるなら、本作は、ステートメントにもあった通り、プロセスそのものが重視されている。

👼なるほど、たしかに面白い発言ですね。「POPミュージックを一つの全体(作品)として完結させているのが録音=パッケージングという操作=行為」であるというのは前半の岡﨑乾二郎による指摘でしたが、本作はパッケージングされたものであるにも関わらず「動的」であり、「プロセス」こそが重視されているように思えると。

♨️聴いてて「断片性」を感じることの秘密もここにあるように思いますね。要するに、本作は楽曲を「一つの全体(作品)として完結」させることがそもそも意図されてないんですよ。アルバムの構造がシームレスに流れていくものになっているのもそのためですね。『When I Get Home』は、When I Get Home なのです。カニエが『』の王様だとすると、その『』づけ自体を取っ払ってしまったのがソランジュだということです。

👼うーむ…Solange『When I Get Home』に感じる不思議さとか違和感って、こうやって考えていくとなんだか録音・パッケージングされたものを「完結された至上のもの=音楽作品」だとするアルバム至上主義的な見方が揺らいできちゃいますね…

ライブ配信というパッケージング

♨️ところでこれを書いている現在はコロナ禍の真っ最中でございまして…おかげさまでここ数ヶ月は全くクラブにもライブハウスにも行けておりません。これは、まさにぼくら自身が『』の内側に押し込められている状況なのだといえそうですが、そんな中で盛り上がりをみせているのがライブ配信による音楽イベントです。そして、これは同時に音楽ライブというものが映像作品としてパッケージングされてしまうという状況を生み出しました。しかし、そもそも本来の音楽ライブの醍醐味って、音楽を中心にして人が集まって、音楽が鳴り、そして帰っていくというその一連の動的なプロセスにこそあるはずなんですよね。

👼たしかに、「外に出かけてライブを聴いたりDJプレイで踊ったりして帰る」という一連の営みって『』づけされない形での音楽の楽しみかたですよね。

♨️つまり、音楽ライブにとって肝なのはパッケージングされていない音楽体験だということです。そういう意味では、ライブ配信でなくても、例えばトラヴィス・スコットがフォートナイトで行ったライブだって所詮映像作品の範疇を出ないものであり、現実の音楽ライブと相対的に考えるべきものではないはずです。

https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fwww.cinra.net%2Fcolumn%2F202005-travisscott_gtmnmclwww.cinra.net

星野源『うちで踊ろう』とDos Monosの「零次創作」リミックス企画

👼そんな配信ライブ以外で話題になったのがなんといっても星野源の『うちで踊ろう』ですね。なんか後半は陳腐な大喜利が始まったり安倍首相がくそつまんない乗っかりをしてきたりで台無しになってしまいましたが笑

https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fgendai.ismedia.jp%2Farticles%2F-%2F71826%3Fimp%3D0gendai.ismedia.jp

♨️この取り組みが面白かったのは、作品のリリースが同時に素材の提供でもあったことです。上の記事にもあるとおり、彼がInstagramに投稿した約1分の弾き語り動画は様々な人の新たなクリエイティブを呼び起こしました。二次創作されることが前提とされた作品のリリースであったという点で非常に画期的な取り組みではあったのです。

👼最近だと大阪万博のロゴもTwitter上で大きな二次創作ムーブメントを生み出していましたね。まあこれはあっという間に消費され尽くしてしまいましたが…

https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fnews.livedoor.com%2Farticle%2Fdetail%2F18911267%2Fnews.livedoor.com

♨️「二次創作のための素材」に対する需要がめちゃくちゃ高まっている現状って間違いなくありますよね。楽曲が作品の完成を意味せず、むしろ次の創造の素材として機能するという新たな音楽の形がそこにあるような気がします。で、そういった動きのなかでもとりわけユニークな取り組みだったのが、Dos Monosによるこちらの企画です。

https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fwww.cinra.net%2Finterview%2F202009-dosmonos_kngshclwww.cinra.net

この7月、東京・渋谷の宇田川町に突如、Ableton Liveでの音源制作画面を全面に映し出した屋外広告が出現した。これはDos Monosの新作『Dos Siki』に収録された“The Rite of Spring Monkey”の制作画面で、2019年3月の1stアルバム『Dos CIty』以来の新作のリリースを伝えるものであると共に、前代未聞のとある企画を告知するものでもあった。その企画とは、Ableton Liveの制作画面を唯一のヒントとして、他の音楽家に謎解きのように新たな楽曲を創作してもらうという「前代未聞のリミックス企画」だった。 

👼いや、すごいですよねこれ。もはや二次創作ですらないし。

♨️この企画について、Dos Monosのメンバーである荘子itの発言を引用します。

 原曲のリリースよりも先に作って出してもらうという意味では、「二次創作ならぬ「零次創作」。あとは、そもそもこの画面に即していなくてもいいわけですよ。「BPM94」と書いてあっても、その通りに作らないといけないというわけでもない。BPM300で作ったっていいし、究極を言うと、この画面をもとにカレーを作ったっていいわけです(笑)。でも、あえて言わなくても、画面の制約に各々が解釈を加えて新しいアイディアを得られる、というのが企画の本懐でした。 

と、まあ読んでて非常に面白い記事だったんですが、こういった取り組みを追っていくと、単純な楽曲自体の魅力どうこうよりも、その楽曲が素材としていかに料理できるものなのかが重視されているという現状も見えてきます。Tiktokなんかはまさに楽曲を素材にして楽しむプラットフォームであるといえるし、瑛人の香水がなぜか大ヒットしたのも素材としての扱いやすさが大きいですよね。

👼なるほど、素材としての楽曲制作が今後どういった展開をみせていくのか、これから注目していきたいですね。

おわりに

♨️さて、ここまで岡﨑乾二郎の『芸術の設計 見る/作ることのアプリケーション』で述べられていたパッケージング(もしくは『』)という言葉を主軸に色々と喋ってきたわけですが、いかがでしたでしょうか?

👼もしなにか感想がおありでしたら、どんなものでも構いません。是非とも「#YUKEMURILAB」のハッシュタグをつけたうえでTwitterにつぶやいてみてくださいね。

♨️最後に今回は喋りきれなかったけどこの記事の延長線上で興味をもっているトピックについて並べておきます。もし自分も興味があって記事を書いてみたいなんていうことがありましたら、是非ぼくのTwitterのアカウントにDMかリプライでご連絡ください。よろしくお願いします…

https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Ftwitter.com%2Fngo750750750twitter.com

書籍:岡﨑乾二郎『抽象の力(近代芸術の解体)』、ジョージ・クブラー『時のかたち:事物の歴史をめぐって』、平倉圭『かたちは思考する:芸術制作の分析』、椹木野衣『シミュレーショニズム』、菊地成孔大谷能生『アフロ・ディズニー』、檜垣立哉『瞬間と永遠――ジル・ドゥルーズの時間論』

作品:Kassa Overall『I THINK I’M GOOD』、中村佳穂『AINOU』、Mom『21st Century Cultboi Ride a Sk8board』、長谷川白紙『エアにに』、altopalo『farawayfromeveryoneyouknow』、JPEGMAFIA『All My Heroes Are Cornballs』、 login『bitzer』、RPBGV『Bodygizer』、draag me『i am gambling with my life』、TortoiseTNT』、マイルス・デイヴィス、The 1975『Notes On A Conditional Form』、Oneohtrix Point Never、Van Dyke Parks『Song Cycle』、ビーチ・ボーイズ『スマイル』、ザ・ビートルズ『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』、Chassol『Big Sun』、ジャルジャル『国名分けっこ』、坂本龍一『async』、Maison book girl『Solitude HOTELシリーズ』、市原佐都子『バッコスの信女 ー ホルスタインの雌』、ジャン=リュック・ゴダールエイゼンシュテイン、岡﨑乾二郎『視覚のカイソウ』

その他:ニューエイジアンビエントサウンドトラック、ゲーム音楽、労作歌、子守唄、ミューザック、TikTok、コラージュ、カットアップモンタージュ、ソニマージュ

👼♨️さようなら……次回も素敵な湯けむりを……

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