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『哀れなるものたち』のDolby Atmosと魚眼レンズ、人体実験、主人公のつまらないSEXについての感想

 昨日、1年か2年ぶりくらいに映画館で映画を見てきました。見た映画は、ヨルゴス・ランティモス監督の『哀れなるものたち』。公式サイトの説明文を引用すると、”天才外科医によって蘇った若き女性ベラは、未知なる世界を知るため、大陸横断の冒険に出る。時代の偏見から解き放たれ、平等と解放を知ったベラは驚くべき成長を遂げる。”という筋書きなんですけど、いやー、めちゃくちゃ面白かったです。というわけで、ここで現時点での感想をつらつらと書いておきます。

※以下ネタバレ含みます。

Dolby Atmosと魚眼レンズ

 まず、温泉マークはこの映画を名古屋にあるミッドランドスクエアシネマのDolby Atmosっていう音響技術が使われてるところで見ました。これがまじでやばかったですね。公式サイトの説明を読むと、”映画館の音響に「オブジェクト」と「天井スピーカー」という2つの重要な概念を導入することで、迫力ある移動する音響を実現します。”と書いてあるんですけど、本当に音がそこに”在る”し、”動く”んすよね。で、この音響効果のおかげもあって、『哀れなるものたち』で鳴る音の大きな特徴に気づきました。この映画、妙に画面外の音がめっちゃ鳴るんですよ。しかも、絶対この場面には必要ないだろっていうときでも必ず画面外で動いているものの音が鳴るようになっていて、例えば、船室の中でひとり不機嫌に座っている主人公がいる場面で、船室の外の人々のガヤガヤ声が聞こえたりしていました。ふつうの映画だったらここで船室の中の音以外出しませんよね???無駄なんですもん。
 それで、温泉マークはこのやたらと鳴る画面外の音に上映中ずっと妙に注意を向けさせられてしまったんですが、その要因の大きなひとつに魚眼レンズもあったのではと思いました。魚眼レンズって超広角を撮影できるレンズですけど、この映画ではそれよりも「レンズを覗き込んでいる感覚」にさせる効果が大きかった気がする。画面内で全てが起こっているんじゃなくて、世界の一部をレンズを通して覗き込んでいる感覚。だから画面の外側で鳴っている音に注意がいって、そっちのほうにレンズが向いて音を鳴らしている正体が姿を現したときに新鮮な驚きや感動を覚えたんですよね。こんな映画体験は今までしたことがなかったので本当に面白かった。

主人公のつまらないSEX

 つぎにこれはこの映画の不満点ですが、主人公のSEXが全然面白くなかったです。なんでこんなふつうなんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!社会にジェンダー化される以前の「ひと」を描くということがこの映画の主人公に課せられた役割ですよね(野生児のように)。そのわりになんかこう、色々と常識的すぎませんか?野菜を身体の一部に出し入れしたらめっちゃ気持ちいいことに気づいてからいきなり異性とのSEX(それも現代の人間文化に理解可能な範疇の体位で…)最高とはならんだろ。この映画は”時代の偏見から解き放たれ”とか銘打ってるわりには主人公の描き方が”こうあってほしい女性像”そのまんまですよね。このあたりが作品の限界というか、つまらない点だったなと思いました。

人体実験

 逆になんか可能性を感じたのが、この映画の序盤と終盤で強調される人体実験の描写です。映画のオチに至っては、人間に牛の脳味噌移植させて牛人間(?)つくったりしてるし。なんつーか、自分も試しにおちんちんちょん切ってみたくなりました。痛そうだしやらねーけど。 

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