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前回の記事を書きながら連想したことメモ

 前回、伊藤精英『音が描く日常風景: 振動知覚的自己がもたらすもの』(以下音振)の読書レビューを書いた。

 レビューから離れまくるので書かなかったけど、読んだり書いたりしながら頭に浮かんだ雑多な事柄がいくつかあるので、ここでメモしておく。

フィールド・レコーディング入門

 音振を読んで個人的に気に入ったのは、著者が全盲になってからリハビリによって、聴覚を頼りに日常生活を送れるようになるまでのエピソードだった。本を図書館に返しちゃったのでもうディティールを覚えてないんだけど、視覚的情報に頼っていた自己から、聴覚的自己へと再構築をした、というようなことを言っていた。視覚頼みにしてた生活のための情報を聴覚によってピックアップできるよう身体が学んだのである。

 あ、これを書いてて思い出した。文學界2022年10月号の岡﨑乾二郎のインタビューも、リハビリについて「可塑性」というキーワードを中心に「新たな主体をいかに創生するか」について語っていてめちゃくちゃ面白かったんだった。これを機に読み返そうかな。

 それはさておき、最近読んでる本のひとつに、柳沢英輔『フィールド・レコーディング入門』がある。

 ちなみにこの本にもギブソンは出てくるし、なんならユクスキュルの環世界も参照されているが、そのくだりでの『あらゆる「自然環境」の録音には、多重の意味で「人工的な響き」が内包されている』という指摘は、自分がオートチューン動物選手権の動画を撮りながら考えていたことのひとつだったのでびっくりした。動物園はめっちゃやばい場所だし動物はやばいしカメラもやばいし録音もやばいしオートチューンもやばいのだ。

 メモなのでどんどん話がずれまくるが、ここで引用しておきたいのは、著者が「録音中はできる限りモニターして、マイクが拾う音を聴く」理由について述べたものだ。

 現場で録音のモニターをしていると、外部にあるはずの環境音が自分の内部に入りこんで、自分の身体が外部の環境音と一体化しているような感覚に陥ることがあるのだ。

(中略)

 耳に聞こえる音とマイクが拾う音が根本的に異なるということを前提として、モニター音と生音という二つの異なる音をリアルタイムにミックスして聴くことでその場の響きを「身体化」することが、私にとってのフィールド・レコーディングにおける「観察」あるいは「聴察」と言えるだろう。それは、知識や記憶を参照して一つひとつの音を意味づけながら聴くことではなく、身体に音を浸透させ、響きと一体になることである。

p.75~76

 音振では聴くという行為に自分の身体のみが前提とされていたのに対して、ここではフィールド・レコーディングという機械を通した聴取による聴く身体の再構築が語られている。ここらへんのくだりは、やはりオートチューン実況者としては感じ入るものがあった。道具による身体の(知覚の)再構築という点で今気になっているのは、日傘(日傘があると太陽の位置を意識する)、そしてマスクである。マスクをしていると、空気中に花粉やウイルスが舞っているということを自然と意識させられる。つまり、マスクは空気中の見えない脅威を認識するためのツールにもなっていた。だからこそ、コロナ明けにするためにはマスクは積極的に外されなければいけなかった。そして第9波がやってきた。

抽象の力と寺田寅彦について

 前回の記事の最後には中谷芙二子『霧の彫刻』を取り上げた。中谷について書かれた文章といえば、岡﨑乾二郎だ。『抽象の力』「明晰、曇りなき霧 晴れやかで軽快なる水の微粒子、の運動」という文章がある。

 この文章と音振には実は共通点がある。どちらも水を認知するための重要人物として物理学者、随筆家、俳人の寺田寅彦の随筆を取り上げているのだ。寺田の随筆は青空文庫で検索したら山ほど出てくるので読んでみてほしい(『抽象の力』では「茶わんの湯」や「天災と国防」が引用されていた)。そして、その寺田寅彦に学んだのか中谷宇吉郎で、中谷芙二子はその娘である。

米澤柊の展覧会について

 そんな「明晰、曇りなき霧 晴れやかで軽快なる水の微粒子、の運動」では、中谷宇吉郎の雪の結晶の研究にまつわる面白い記述がある。

 たとえば人々が思い浮かべるような、理想的に完成された(写真家が好むような)雪の結晶はほとんど滅多に現れない。(中略)中谷はベントレーの写真に撮られているような、完全に見える雪の結晶が、実際は滅多に現れないことにこそ興味を持った。自然のプロセスの中ではむしろ複雑に変態した、一見失敗したような、奇形とも思われる(多くの人に見捨てられ、忘れ去られてしまう)雪の結晶の方がはるかに多いのである。ナカヤ・ダイヤグラムはこうしたミュータントの形成される過程こそを構造として明らかにした。物理学者、中谷宇吉郎にとっては雪の失敗、奇形性にこそ多くの情報が含まれている。

 零下五〇度の凍える実験室の中で、雪の結晶が形成されていくプロセスを息をのみ、目撃する。いま出現しつつある、そのまたとない雪の形態のユニークさ(繰り返せば、それはときに奇形の雪にも見える)に現れているのは、まさに二度と同じことが繰り返されることのない、その場の気象条件、空間そして時間のコンディションである。けだし雪の形態とは、無数の自然のパラメータの函数、さまざまな条件の出会い(干渉)が作り出す結実であり、その二度とない場の条件、様相のすべてが、そこに形態の固有性として記されている(世界的に知られたナカヤ・ダイヤグラムは、雪の結晶が気象条件によって異なる形態として生成変換される構造こそを明らかにしている)。

p.242

 そして、この文章を読みながらBGMにしていたのがDOMMUNEの番組、『米澤柊 Presents「Happy Uni-Birth」@DOMMUNE』だった。

 この番組の中で、展覧会のグッズが紹介されていたのだが(今は通販で販売している。以下のリンクを参照)

https://online.parco.jp/shop/e/e22583609/

 そこで見たアクリルキーホルダーがめちゃくちゃよかった。

 どうですかこれ?まさに中谷宇吉郎がいう雪の結晶のように見えませんか!?(購入した)

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