2024年3月30日、痔瘻の手術の予約を取りに自転車で一時間近くかけて辿り着いた病院が休診日だった。
仕方がないので予定を変更し、鶴舞図書館に行く。久しぶりに行った鶴舞図書館は楽しかった。たくさんの本がジャンルごとに棚に並んでいる。知っている本もあれば欲しかった本もあり、知らない本もあれば気に食わない本もあった。それらのタイトルをひたすら順番に読んでいってたら2時間が経っていた。
借りた本はこれ。ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史』、エミール ハビービー『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』水野博子・川喜田敦子 (編集)『ドイツ国民の境界: 近現代史の時空から』、イラン・パペ『イスラエルに関する十の神話』。『ドイツ国民の境界: 近現代史の時空から』は知らない本だったけど試し読みした序文が面白かったので借りてきた。公式サイトの紹介を引用する。
https://www.yamakawa.co.jp/product/67258
「ドイツ」とは何か。「ドイツ国民」とは誰か。ドイツ語圏の歴史を振り返れば、「ドイツ」という領域、「ドイツ国民」という集合体が決して固定的なものではなく、伸縮自在で可変的であり続けてきたことはおよそ自明のことといえる。〈革命―世界大戦―ナチズム―冷戦―新自由主義―グローバル化〉と続く激動の近現代史において、ドイツ語圏は、民衆蜂起、マイノリティの抑圧、強制移住、紛争・戦争、大量虐殺を経験し、そのなかで「ドイツ」と「ドイツ国民」を規定するさまざまな境界が創り出されてきた。
「境界」という観点からドイツ語圏の近現代史を見直すにあたっては、二つの相互補完的な問いからのアプローチが求められる。一つは、境界がどのように社会の分化・分断を固定化させることになったのかという動態的側面を重視する問いである。もう一つは、いったん定着してしまった後の境界の静態的側面、すなわち境界がどのような場面で政治的、経済的、社会的、文化的に作用したのかという問いである。
お腹が空いたので、お昼ご飯に鶴舞図書館近くのタイ料理屋さん(名前は忘れた)に入った。頼んだメニューは「カオマンガイ」のランチセット。なんでこれを頼み、そしてどんな味だったのかは後々別のコンテンツで明らかになることだろう。
お腹もいっぱいになったので、鶴舞図書館近くの古本屋を物色。上農正剛『たったひとりのクレオール: 聴覚障害児教育における言語論と障害認識』、マグロンヌ・トゥー・サン=サマ『世界食物百科』を購入した。
鶴舞図書館もそうだったんだけど、あんまり品揃えに頓着してない書店のほうが棚を眺めるのが楽しい気がする。なんか探しがいがある。
タイ料理の店はきっとサワデーすみ芳ですね。歩道橋降りてすぐ。名古屋のタイ料理の老舗です。
それだ!!!ありがとうございます!!!!!!